美容室を経営するなかで、多くのオーナーが悩むのが「社会保険への加入」です。
採用の場面では「社会保険完備」の有無が求職者の応募動機を左右し、未加入であることで人材確保に不利になるケースも少なくありません。一方で、加入すれば毎月の費用負担が経営に直結するため、判断を迷う経営者も多いでしょう。
そこで本記事では、美容室に関わる5つの社会保険(厚生年金・健康保険・介護保険・雇用保険・労災保険)の基本から、個人事業主と法人での義務の違い、導入メリット、費用シミュレーションまで徹底解説します。
社会保険を正しく理解することで、経営の負担をコントロールしつつ美容師を採用・定着させるための基盤を構築可能です。経営判断に不可欠な視点を得られますので、ぜひ参考にしてください。
美容室経営者が知っておくべき社会保険一覧表
はじめに、分かりやすく全体像を掴むために「美容室経営者が知っておくべき社会保険一覧表」を紹介します。
美容室の経営において社会保険は、従業員の安心や採用力に直結する一方、事業主にとっては大きなコスト要因でもあります。種類ごとに「従業員にどんなメリットがあるのか」「経営者にどんな負担が発生するのか」を整理して理解することが大切です。
まずは以下の表で、全体像を把握しておきましょう。
保険の種類 |
主な対象 |
従業員のメリット |
経営者の負担・関係性 |
厚生年金保険 |
常勤の従業員(70歳未満) |
老齢・障害・遺族年金の保障 |
保険料を従業員と折半。社会保険料の中でも特に負担が大きい |
健康保険 |
常勤の従業員 |
医療費自己負担が軽減(3割負担など) |
保険料を従業員と折半。雇用人数が増えると経営負担も増加 |
介護保険 |
40歳以上の従業員 |
要介護時にサービスを受けられる |
健康保険料と同様に折半負担。従業員の年齢構成により負担額が変動 |
雇用保険 |
全ての従業員(週20時間以上等の条件あり) |
失業給付や再就職支援 |
保険料を従業員と折半。加入手続きを怠るとトラブルの原因に |
労災保険 |
全ての従業員 |
業務災害時の補償(治療費・休業補償など) |
保険料は全額事業主負担。従業員には負担なしだが固定費として必須 |
社会保険とは
社会保険は、公的な保険制度のひとつです。美容室で美容師を雇用している場合、従業員の労働時間や雇用形態、事業規模など一定の条件に該当すると、社会保険への加入義務が発生します。
美容師を雇用する側として押さえておくべき社会保険は、次の5つです。
- 厚生年金保険
- 健康保険
- 介護保険
- 雇用保険
- 労災保険
特に厚生年金保険・健康保険・介護保険の3つを「(狭義の)社会保険」、雇用保険・労災保険の2つを「労働保険」と呼ぶケースもあります。なお加入義務が生じる条件は後項目で別途解説します。
それぞれに目的や内容、事業主が支払う料金にも違いがあるため、詳しく見てみましょう。
厚生年金保険
厚生年金保険は、国民年金保険と同様に公的年金制度のひとつです。
厚生労働省の説明によると、保険料を納めた期間によって計算され、国民年金に上乗せされた状態で受給されます。
全ての20歳以上60歳未満の人に加入義務がある国民年金保険と違い、厚生年金保険対象者は一部です。具体的には、「常時従業員を使用する会社に勤務する70歳未満の会社員」と「公務員」の2パターンです。個人事業主であるフリーランス美容師は、厚生年金保険に加入できません。
厚生年金保険を支払った対象者は、それぞれの条件に該当した時に次の3つを受給できます。
- 老齢年金:原則65歳から受け取れる年金
- 障害年金:けがや病気が原因で障害が残った場合に受け取れる年金
- 遺族年金:厚生年金保険被保険者が亡くなった場合に、遺族が受け取れる年金
とりわけ遺族年金について、 日本年金機構 によると遺族年金を受給する遺族の優先順位は次のとおりです。
以上のように、厚生年金保険は生涯で起こりうる様々なリスクに備えるための保険です。
事業者(雇う側)にとっては、厚生年金保険料を従業員と折半で負担する義務があり、社会保険料の中でも特に大きな割合を占めます。そのため、人材を多く雇用すればするほど毎月の固定費として経営に直結する点を理解しておく必要があります。
健康保険
健康保険は公的な医療保険制度のひとつです。加入していれば、けがや病気をした時に医療費の自己負担が抑えられます。
健康保険は大きく分けて2種類あり、加入対象や保険料の計算方法が異なる点は注意しましょう。
- 国民健康保険(通称:国保):フリーランス美容師や個人サロンといった個人事業主が対象
- 健康保険(通称:健保):社会保険の適用事業所に雇用された会社員が対象
国民健康保険は、被保険者の住む市区町村によって運用されており、住む場所で保険料にも違いがあります。以下に 茨城県の公式サイト から、国民健康保険の仕組みをわかりやすく説明した模式図を掲載します。
国民健康保険は、原則として世帯にいる全被保険者の保険料を全て納めます。一方で、会社員が加入する健康保険は、被保険者の負担額を抑えられる仕組みになっています。
条件を満たした会社員は加入が義務付けられており、保険料は給与から天引きされ、事業主と折半で支払います。そのため、会社員の立場からすると負担が軽く、お得に感じられる制度です。
労働者にはメリットがありますが、事業者(雇う側)には保険料の負担が増える点には注意が必要です。美容師を多く雇用すると、その分経営の負担も増える点は覚えておきましょう。
介護保険
健康保険に加入している方が40歳になると、自動的に介護保険にも加入します(義務)。
そのうえで 厚生労働省 が示す通り、65歳以上の加入者が要介護認定を受けると、様々な種類の介護サービスを利用できるのです。
また40歳から64歳であっても、特定疾病で介護の必要性が認められれば、同様に介護サービスを受けられます。特定疾病とは、年齢を重ねて起こる心身の変化と関係があるとされる病気です。年齢による心身の変化が原因で、介護が必要になる可能性が高まるとされています。詳しい条件は 厚生労働省のサイト で確認してください。
なお、健康保険と同様に事業者(雇う側)は、40歳以上に該当する従業員の介護保険料も折半で負担することになります。従業員の年齢構成によって負担額が増える可能性があるため、長期的な人件費計画のなかで見込んでおくことが重要です。
雇用保険
雇用保険は、働く人の生活や雇用を支援することを目的とした制度です。美容室経営者(事業者)にとって重要なのは、労働者を雇用した場合の加入義務です。
美容室の事業者は、1人でも従業員を雇用すれば雇用保険に加入する義務があります。加入手続きを怠ると、従業員からの信頼を失い、離職やトラブルの原因となる可能性があるため注意が必要です。
保険料は 事業主と従業員で折半ですが、事業者としての負担額は無視できません。従業員を増やすほど、保険料負担も増える点は意識しておきましょう。
また、美容師に直接関係する支援の中心は 「失業等給付」 で、生活の安定や再就職の支援に役立ちます。
失業等給付には、次の4種類があります。
- 基本手当:失業中の生活を支える給付
- 再就職手当:早期就職を促す給付
- 教育訓練給付:スキルアップや資格取得を支援
- 高年齢求職者給付:高齢者の再就職支援
なお 宮城労働局の公式サイトでは 「失業給付のあらまし」が わかりやすく解説されているため、参考にするとよいでしょう 。
労災保険
厚生労働省の資料で紹介されているように、労災保険は仕事での業務や通勤が原因で、けがや病気になった人へ給付を行う保険制度です。
業務が原因だと認定されれば、労災保険から給付が受けられます。
美容室を経営する立場としては、従業員の安全確保とともに、万が一のリスクに備える重要な制度となります。保険料は全額事業主負担で、従業員に負担はかかりません。そのため、従業員の安心材料としても大きな役割を果たします。
労災保険には、様々な種類の給付が用意されています。
- 療養補償給付
- 障害補償給付
- 休業補償給付
- 葬祭料
- 傷病補償年金
- 介護補償給付
- 遺族補償給付
いずれにしても美容室経営者は、労災保険を使わずに安全な職場環境を整えておく必要があります。万が一の備えとして労災保険を活用しましょう。
美容室が加入すべき社会保険について
個人事業主と法人化した美容室では、加入すべき社会保険の内容に違いがあります。
加入義務のある社会保険に未加入のまま美容室を経営すると、雇用した美容師の信頼を損ない、人手不足が深刻化する可能性があります。
加入条件の違いを把握し、経営の負担を最小限に抑えつつ、安定的に良い人材を確保しましょう。
個人事業主のオーナーがスタッフを雇う場合
労働者を雇う場合は、社会保険の加入義務の違いに注意しましょう。
国土交通省で紹介されているように、従業員数が5人以上の場合、個人事業主であっても社会保険の加入義務が発生するためです。
また法人化した美容室の場合、1人でも労働者を雇用すれば社会保険に加入する必要があります。
厚生労働省のサイトに記載があるように、従業員数は厚生年金保険の被保険者数を指します。パートやアルバイトが多い美容室は、従業員数を把握する際に注意しましょう。
正社員1か月分の労働時間と労働日数が、4分の3以上のパートやアルバイトがいた場合、従業員数としてカウントされます。
法律の改正により2024年10月から、加入要件を満たしたパートやアルバイトも含めて従業員数が51人以上になった場合は、厚生年金保険と健康保険への加入が義務付けられました。
上記の条件に当てはまる美容室は、厚生年金保険と健康保険の2つに加えて、雇用保険や労災保険にも加入しなければいけません。40歳以上となる労働者がいるのなら、介護保険の加入も必要です。
法人がスタッフを雇う場合
法人化した美容室は、1人でも常時従業員が在籍している場合、以下の4つの社会保険の加入義務が発生します。
- 雇用保険
- 労災保険
- 厚生年金保険
- 健康保険
常時労働者とは、臨時的でなく、1か月以上の雇用契約がある労働者を指します。毎月定期的に出勤し、一般的な勤務形態を持つ労働者はほとんどの場合、これに該当します。
また、雇用されている労働者だけでなく、常勤役員もこれらの保険に対する加入義務があります。
たとえ代表者1人のみが働く個人美容室であっても、法人化すればこれら4つの社会保険への加入が必要になります。
さらに、加入者が40歳以上の場合は、介護保険にも加入しなければいけません。法人化すると費用負担が増えるため、慎重に検討しましょう。
美容室が社会保険を導入すると採用に有利になる
社会保険への加入は先述した条件に該当すれば法律上の義務ですが、採用活動においてプラスに作用します。つまり、加入義務のない美容室であっても、雇用拡大を見据えて任意で加入しておくメリットはあるといえます。
具体的なメリットは、以下の3つです。
- 社会保険を重視する求職者が集まりやすくなる
- 求人サイトの検索結果に表示されやすくなる
- 採用活動で他社との差別化につながる
人手不足の解消を考える美容室経営者は、こうしたメリットも踏まえつつ、社会保険を導入しましょう。
社会保険を重視する求職者が集まりやすくなる
美容師が職場を決める際、厚生年金保険と健康保険の完備は重要な判断材料のひとつです。
イーグラント・コーポレーションのアンケート によると、500人中100人以上の美容師が、厚生年金保険や健康保険、介護保険など社会保険の完備を重視して美容室を選んでいます。
社会保険を重視する求職者は安定した雇用を求める傾向が強く、長期的に働く可能性が高いです。健康保険料の支払いは事業者との折半で行われるため、美容師の負担が軽減されます。
また、長期的に加入し続けることで、厚生年金保険は国民年金に上乗せされ、老後資金の増加につながる点も魅力です。
このように、長期的に働いてくれる美容師を獲得できる可能性を高めるためにも、社会保険完備のアピールは有効です。
求人サイトの検索結果に表示されやすくなる
社会保険に加入している美容室は、求人サイトで検索結果に優先表示されやすく、採用活動で有利になります。
ホットペッパービューティーの調査 によると、美容師が転職活動を行う際のハローワーク利用割合は27.3%と比較的高く、およそ3人に1人が利用しています。
ハローワークインターネットサービス では、求人を検索する際、社会保険の有無を条件に絞り込み検索ができます。
そのため、社会保険に加入している美容室は、未加入の美容室が非表示となることで、検索結果で目立ちやすくなり、採用活動において優位性が高まるのです。
さらに、社会保険に加入済みの美容室は決して多くないため、目立つ場所に検索結果が表示されれば、採用の成功率が高まります。
採用活動で他社と差別化できる
社会保険に加入している美容室で働く美容師は、さまざまなメリットを享受できます。
例えば、厚生年金に加入していれば、老後に受け取る年金額が国民年金のみの場合より増加します。これは将来の生活の安心感につながり、求職者にとって大きな魅力です。
また、健康保険や厚生年金保険の保険料は事業者と折半で支払われるため、美容師の自己負担は軽減されます。手取りが増え、生活に余裕が生まれることで、仕事へのモチベーションも維持しやすくなります。
さらに、病気やけが、老後の不安に対する備えが整っている点も、長期的に働いてもらう上で重要なポイントです。
このように、社会保険完備の美容室は、安定した職場を求める美容師にとって魅力的な選択肢となり、他社との差別化につながります。
(株)C&Pは、上場企業であるアルテサロンホールディングスのグループ会社ということもあり、コンプライアンスを徹底しています。社会保険や有給など、当たり前の待遇が当たり前に受けられるのは、この業界では珍しいのではないでしょうか。
社会保険も完備です。有給休暇や、それとは別に男性の育児休暇も用意しています。スタッフの7割が男性で、実際に育休を利用しているスタッフも数人います。これらの待遇も、業界ではトップクラスだと自負しています
社会保険への加入により、美容室での採用は有利に働きます。差別化を図るためにも社会保険は完備しておきましょう。
美容室が社会保険を導入すると費用負担が生じる
美容室が社会保険を導入すると、費用負担が大きくなる点も見逃せません。多くの美容室が社会保険に未加入のままである理由は、主にこの費用負担のデメリットにあります。
経営者としては、社会保険の導入が人材不足の解消に繋がる第一歩であることを認識しつつ、そのコストがどの程度かかるのかも事前に把握しましょう。
以下に、社会保険に関する費用の詳細をまとめています。社会保険の導入を検討している美容室経営者の方は、ぜひ参考にしてみてください。
加入前にしっかりと確認し、経営への影響を最小限に抑えつつ、良い人材を確保するための対策を講じましょう。
健康保険料と厚生年金保険料
全国健康保険協会の保険料額表 (参考:東京都) を確認すると、保険料を計算できます。以下の表は、東京都の令和7年3月分からの保険料です。
保険料(単位:%) |
|
---|---|
健康保険料 |
9.91 |
厚生年金保険料 |
18.300 |
例えば、雇用した美容師(21歳)の給料が200,000円だったとします。
健康保険料が19,500円で、厚生年金保険料は36,600円です。
社会保険の健康保険料は「折半(÷2)」となるため、美容室が支払う健康保険料は9,750円、厚生年金保険が18,300円となり、1人の美容師を雇用して負担する総額は28,050円です。
社会保険料を計算する上で、次の2つに注意しましょう。
- 健康保険料の変動
- 日割り計算が不可能
社会保険料は、給与や手当といった報酬の合計で決められます。
固定給でない限り、保険料が変動する点を忘れてはいけません。また、 内閣府のデータ によると高齢化に伴い、健康保険料の負担が増加傾向にあるとされています。
▼高齢化に伴う健康保険料の負担増加
現在、日本は65歳以上の高齢者の割合が人口の21%を超えた「超高齢社会」に突入しており、健康保険料の増加は避けがたいのが実状です。
また、美容師の産休取得時にも注意が必要です。
健康保険料と厚生年金保険料の免除の手続きが必要ですが、美容室経営者が日本年金機構へ「産前産後休業取得者申出書」を申請しなければいけません。
被保険者だけでなく、美容室経営者も健康保険料と厚生年金保険料が免除されます。負担額が抑えられるため、忘れずに手続きを済ませましょう。
申請方法は 日本年金機構 に記載があるため、詳細に知りたい時は参考にしましょう。
雇用保険料と労災保険料(労働保険料)
雇用保険料は、「賃金の総支給額×雇用保険料率」で計算されます。雇用保険料率は、 厚生労働省の公式案内 から確認できるため、詳細を知りたい際に確認しましょう。
令和5年度時点では「14.5/1,000」となっており、事業主負担となる雇用保険料率は「9/1,000」です。
美容師の給与から雇用保険料を差し引く場合は、「5.5/1,000の雇用保険料率を使用します。
なお労災保険料は、全額事業主負担となっているため注意してください。労災保険料の計算方法も同様に、「賃金の総支給額×労災保険料率」を使用して計算します。
労災保険料率は 厚生労働省の案内表 で確認しましょう。
業種によって労災保険料率を振り分けています。労災保険率表を確認すると、美容室は「その他の各種事業」に分類され、労災保険料率は0.3%です。
労災保険率は0.3%、雇用保険率は0.9%のため、美容師の給与が200,000円だった場合、労災保険料が600円。雇用保険料が1,800円となります。
事業主が全て負担し、労働保険料の負担額は2,400円です。
社会保険とあわせて理解したい「美容師の給与に対する本音」
本記事で解説した「社会保険の基礎知識」に加え、美容室経営者が理解しておきたいのが「美容師の給与」に対する考え方です。社会保険の加入有無は給与の手取り額や満足度にも直結するため、待遇全体のバランスを意識することが欠かせません。
以下の資料は、美容師業界に従事する20〜30代の304名を対象に「給与への満足度やその理由」「理想の月給」「転職意向との結びつき」などを調査した結果をまとめたものです。
給与設定や福利厚生面の見直しはもちろん、従業員の定着・採用にも非常に有効な資料ですので、ぜひあわせてチェックしてください。
まとめ
美容師不足で悩む美容室経営者は、採用のために給与だけに目を向けてはいけません。安定性を求める美容師のために、社会保険を充実させましょう。
特に以下のポイントを意識できると、美容師不足を解消しやすくなります。
- 特に重要となる種類は「健康保険」と「厚生年金保険」の2種類
- 「健康保険」と「厚生年金保険」の加入は、他の美容室との差別化で信頼性を獲得しやすくなり、採用に良い影響がある
- ただしデメリットもあるため、不都合に感じる部分は確認しておく
経営的に余裕があるタイミングで、社会保険加入を検討すると大きな失敗を防ぎやすくなります。
採用に時間をかけられず、社会保険の詳細を知るために時間をかけられないオーナーは、社会労務士などの専門家に相談するとよいでしょう。美容師不足を解消しやすくなるため、多忙なオーナーこそ検討してみてください。

- 執筆者情報
- 関 慎一郎(Seki Shinichiro)